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労務安全について
災害や事故を経験せずプロになる
昔は「一度や二度は痛い目に遭わないと一人前の職人にはなれない」こんなことが言われていました。経験しないとわからない、プロになるには危ないことも出来て当たり前のような風潮が現場のなかにありました。今でも残っているとしたら、それこそ危険な思想です。危険を知ることと、経験することは全く別のしろもの。何が危険であるかは、正しい作業方法と、そうでない作業方法をすでに山ほどある災害や事故事例で比べることで充分に理解できることです。
その災害・事故事例を自分のことのように考えたことはありますか?「こんな災害があった」と見せられても、通り一遍のように扱っていたのなら、そんな人は災害に遭わないと一人前になれない人かもしれません。ただし運良く作業に戻れたらの話ですが。危険を学ぶことは安全を学ぶということです。どちらが前でも後ろでもかまいません。建設の仕事はオートメーション化された工場で働くのとは異なり、自ら手を使い、身体を高所に預けて作業をしなくてはならない仕事です。危険の度合いは製造業とは比べものになりません。どうか、安全な作業方法はいかなるときも作業者の命綱だと思い、守って下さい。監督者の方は、無理な作業や指示を絶対にさせてはなりません。その立場の人こそ災害や事故を経験させずにプロに育てあげる使命を担って頂きたいと思います。
もっと小集団活動を自分のものにしよう
古代ローマでは、皇帝、元老院そして市民集会と呼ばれる機関が存在しました。立法・行政は、もっぱら皇帝、元老院が行い、市民集会では国が行なう施策の賛否を決定する役割がありましたが、法律を作ることは許されておりません。但し、皇帝や元老院の作った法律を否決する権限がありました。他の国家には古代から現代にいたるまで見ることの出来ない政治形態です。自分たちは法を作れない、しかしイエス・ノウは決められた。それが市民集会です。作業所の安全衛生計画は作業員の人は作成に参加していません。打合せにも参加せず作業をしています。自分たちの安全・命を人任せにして良いのですか?作業前の安全ミーティングは大変に重要な市民集会です。危険作業に回避手段のないまま、作業指示がなされていたらノウを発言し、回避手段を元請サイドと自分たちで見つけだし、低減してください。
さっさと仕事をする前に、まず示された作業で安全が確保されるものかどうかを小集団活動のなかで確認をしましょう。今日の作業指示!イエスですかノウですか?
(出展:wikipedia)
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